発想力を育てよう
高校2年の娘は時々「小さい頃にお母さんとした散歩、楽しかったなぁ。」といいます。
小学校の時に貰った感謝状にも「お母さん、いつもありがとう!また散歩に行こうね」と書いてありました。
「なんで?」
家族で旅行も行ってるし、キャンプも行ってる、動物園も遊園地も‥。なのに一番楽しいのがなんで散歩やの?
散歩と言ってもおやつやおにぎりを持ってウロウロするだけです。
幼稚園の帰りだったり、買い物のついでだったり。
ただ曲がり角に来ると親子3人でじゃんけんをします。
勝ったものがどの道がいいか選ぶのです。
自分の行きたい道があるなら勝ちつづけなければなりません。
子どもたちはどこにつくかわからない道にドキドキしながら進んで行きます。
「ほんまに帰れるんかなぁ」
と不安になったり、「大丈夫やん!」て励まし合ったり。
私は大概「わかれへんでーっ。アメリカに行ってしもたらどうする?」とかいって子どもたちをビビらせるのが楽しいのですが。
疲れてくると近くの公園とかお社で、おにぎりやおやつを食べて一休みします。
そして家にたどりつくまで冒険は続くのです。
この前、保育所でも久しぶりに子どもたちとこのお散歩をしてみました。
帰ってから子どもたちが「楽しかったなぁ。」と言っていました。
私はキッザニアが好きではありません。
色々な仕事がリアルに体験できるらしく、今は大人も楽しんでいると聞いているのですが。
それにそこそこ値段が高い!
行ったらその場はきっと子どもは喜ぶでしょうね。
でも記憶に残る思い出になるのでしょうか?
なりきって遊ぶのなら保育所でもしていますよ。
新聞紙をドレスに見立ててお姫様になったり、小さくなってしまった色々な画用紙を切り貼りしてゴージャスなドレスにしたり。ダンボール箱はユニークなキッチンになったりするのです。
「おもしろいねぇ、すごいやん!」
子どもたちの発想力に驚かされます。
私が感心すると子どもたちも得意そうに笑顔を見せてくれます。
完璧な道具は必要でしょうか?
足りないなら自分の工夫やイマジネーションで補うことはできませんか?
子どもたちに全てを満たす必要はないと思っています。
満たしてしまったらそれで終わり。
その続きはないのです。
だってそれは大人が用意したおもちゃに過ぎないから。
子どもにはすばらしい発想力があります。
ただのお散歩がワクワクドキドキの探検になったり、押入れが秘密基地になったりして、その中で自分たちだけの物語が始まるのです。
すごくお金をかけて作った場所、立派なおもちゃ。
それは大人が自己満足を満たしているだけではないでしょうか。